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気ままに奈良南部めぐり14 十津川村 台風の爪痕

谷瀬の吊り橋であれやこれやに思いを馳せつつ、現地を案内してくれたH君とここでお別れしました。
H君のおかげで本当に有意義な十津川村体験となりました。

H君の家は村の中心からやや南、谷瀬は北端。車で30〜45分です。
奈良盆地の北から南まで行けます。
奈良市から橿原市や明日香くらいまで案内してくれたと思えばいいかと。
ちなみに瀞ホテル(南端)から谷瀬の吊り橋だと1時間半くらいかかります。

今も残る被害跡と続く治水工事

実はこの吊り橋の途中にH君が台風被害の跡地をところどころ案内してくれました。
十津川村も被害場所が多かったですが、和歌山や大規模な土砂災害が発生した
五條市大塔町のほうが被害が大きかったようです。
水害発生前後で見る世帯の状況の変化

150524_十津川村 _台風被害跡地 (1)150524_十津川村 _台風被害跡地 (2)150524_十津川村_台風被害跡 (1)
150524_十津川村_台風被害跡 (3)150524_十津川村_台風被害跡 (4)150524_十津川村_台風被害跡 (5)

以下の写真の効果が私にはすぐわからなかったのですが、
水が一気に流れ落ちてくると勢いがどんどん増していくので、それを緩やかにするものだそうです。
150524_十津川村_台風被害跡 (2)

ちなみにそれより前の台風被害跡の様子は
こちらです。

この後は一同帰路につきましたが、道路、橋と治水工事がずっと続いていました。
十津川村は約半数が土木・建設業。(残りは観光・宿泊、飲食と続きます。)
まさに公共事業が支えている村とも言えます。田舎にはそういう村がたくさんあります。
上北山村もその1つです。私が関わっていたとある島も冬は公共工事に従事する人がたくさんいました。

ようやく旅も終わります。長々書きましたが1泊2日です。
でも濃かったなぁ。楽しかったなぁ。時間が許せば後1、2回番外編を書くかもしれません。

次回もまた気ままにどこかを企画するつもりです。
案内してください〜って声かけるかもしれませんが、そのときは暖かい目で見てやってください。
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気ままに奈良南部めぐり13 十津川村 谷瀬の吊り橋 無料の理由

かなりじっくり民族資料館を堪能して、道の駅で昼食と名物として推している十津川ドーナツを食べました。
※十津川ドーナツはとうもろしからできているものです。美味しかったです。Webに全く掲載されてないのですね…

谷瀬の吊り橋

事後で知りましたが「谷瀬(たにぜ)の吊り橋」でした。たにせと読んでいました。
私のイメージはドコモの関西CMで、赤井英和さんと本上まなみさん(吊り橋)が電話していて、
「(秘境)十津川村でもつながります」というキャッチでCMをしていたメージです。
※実際十津川では圏外となる場所は多いです。

この吊り橋は元々住民の方々の出資でなりたったものです。
でも現在は公共事業としてメンテナンスされています。よって観光料金がとれないということです。
面白いのは注意書きに「観光客が二輪車で橋を渡る事は禁止します」ということ。
つまりは地元住民の方は二輪車で橋を渡っているという事です。
そして「この橋は通学路です。迷惑のないように安全にお渡りください」という注意書き。
吊り橋は決して観光でなく地域の暮らしの知恵の中で生まれたという事です。

150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (2)150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (3)150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (19)

東日本大震災では、近代インフラが機能停止しました。
時代遅れとも言える集落が都市を救いました。
停電でも自家発電して、貯蓄米で炊き出しをしました。重機を使って都市の救援に向かいました。
本来自治体がすべきことであり、彼らは全く資金的対価を得ずに「正しい」と思う正義を行動しました。
決して近代化は悪い事ではありません。私たちが便利に暮らせているのは確かです。
でも、そこには大量の電気や機械を使っています。
→参照「未来をつなぐ人間物語

最新鋭の機械は修理が自分でできません…
(だからスモールイズビューティフルのシューマッハは利用者が修理できる簡易な技術を推進しました。)
電気も太陽光、風力、水力、バイオマス(バイオガス 薪や木質ペレット)は再生可能ですが、
火力(化石燃料は超長期でないと復元しません)と
原子力(福島原発の件はもちろん、核廃棄物は安定化できません。未来に負の遺跡を残しています。)で
産み出す電力は将来世代(みなさんの子どもやこれから生まれる子ども)に対して、
負債を作っているようなものです。

すべてを過去に戻すことが不可能な事、私自身近代化の恩恵で今生きている事、それは分かっています。
しかし、すべてを便利だからということで利用・購買することは疑問があります。
もちろん技術はその使いようです。でも、皆さんのお子様、これから生まれるだろう子ども、孫、
将来世代にじいちゃんはなんてひどいことをしてくれたと言われる選択でいいのかと思います。
(私が子孫を残せるかということはまあ今段階で未定なのですが…)

正直今の年金制度や国債額、個人的にふざけるなと思わないでもないです。
(一方で戦争を生き延び高度経済成長を成し遂げた先人に尊敬と感謝の念もあります。)

現代の土木・建設技術がない時代、なけなしの資金を使っても作りたかった吊り橋。
そうまでしてもつながりたかった対岸。そうした過去に思いを馳せていました。

谷瀬の吊り橋をわたる皆様へ

どうか谷瀬の吊り橋がなくならぬよう、貴重な文化資産と過去の知恵が残るよう、
基金でも茶屋などの観光スポットでも構いません。
皆様が得た楽しさ、学びの対価としてお金を落としていただけませんでしょうか。
橋と橋の両端にわたる人数を警備員さんがカウントしていたことを思い出してください。
彼らの給与はどこからでるでしょう?おそらく税金です。
でも観光という便益を得た人がその適正コストを負担すれば、税金補填は減るはずです。

メリットを得た人間が対価を支払わなければ、税金で補填されます。
今税収と国債利子がほぼ同額になっています。
つまり日本は、サラリーマンに例えると年間給与と借金の利子が同額になっています。
日本の金融機関が国債の多くを負担しているから円の信頼は保たれていますが、
結果的に負担と課題を将来世代に残しているだけです。

今40代30代は戦後団塊世代の負債を背負っています。
バブルに浮かれたツケを背負っています。被害者意識を持っているかもしれません。
でもそのツケを同様に20代以下将来世代に追わせる行動しかとれていません。
決していい格好をしたいからという訳ではないです。
でもできれば彼らへの借金を減らしたい。せめて少しでも彼らにフェアな戦いができるようにしたい。
であれば、フリーライド(享受した価値を適正に負担しないこと)を減らしたい。

そんなことを吊り橋をおそるおそる渡りながら思っていました。
最後に絶景写真をつけておきます。
150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (5)150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (7)
150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (8)150524_十津川村_谷瀬のつり橋 (16)

いよいよ旅も終わりに近づきました。
帰りに十津川村の台風被害後を見ました。

谷瀬の釣り橋
〒637-1106 奈良県吉野郡 十津川村谷瀬
0746-63-0200




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気ままに奈良南部めぐり12 十津川村 歴史民俗資料館

150524_十津川村_民俗資料館
福屋利休でお土産を買って、そのまま十津川 歴史民俗資料館へ。
いやはや、ここは十津川村をある程度まわってから行って良かったと思いました。

明治維新に大活躍?十津川郷士

資料館を見てもまだまだ謎が多い十津川村のようですが、
維新では天誅組に加担したり、成敗に活躍したり。
その相関図もあって私は大満足。

そして、先日書きました玉置神社の鐘の謎も神社しかないのに、
お葬式が仏教と神道の混ぜこぜになっている理由もここで明らかになりました。

創立150年以上の歴史を持つ十津川高校

十津川高校は旧文武館からの流れをくみます。
県下1の歴史を誇ります。なんてったって、
1864年(元治元年)孝明天皇の勅許により、儒官・中沼了三が私塾として文武館を設立が始まりです。
私の母校も20年前に100周年なので…

十津川村は明治期の地租改正まで税のない地域でした。それもあって比較的裕福な土地だったとか。
そして、なぜこの辺境の地から維新に名を連ねる人材が出たのか。
それもまた教育だったということがよくわかりました。
でも攘夷論がこの十津川村にも及んでいたのは驚きです。

十津川村から江戸へ剣術修行に出ていた方もいて、
桃井春蔵およびその高弟の黒谷(くろや)佐六郎に鏡新明智流を学び、
2~3年して蘊奥を窮めの文武館にて剣術市販だったのですから驚きます。

薩摩、長州、土佐等と並んで宮廷警護を命ぜられたことから、
明治の皇宮警察には大半が十津川郷士が命ぜられたとのこと。
一方で勤王の獅子になった上平主税などは、横井小楠暗殺事件を起こすなど歴史にいろいろ出てきます。

なんぜ龍馬暗殺の際に、暗殺者は十津川郷士と名乗ったとか。
少なくとも坂本龍馬か中岡慎太郎と交流があったのでしょうね。
(実際暗殺したのは十津川郷士ではなさそうだというのが今現在の論調ですが)

教育ってすごい

これだけ地の利が悪いところでも、
教育制度が充実すれば、都会へ留学するし歴史の舞台にも登場します。
昔の藩が小さく別れていたことの功罪ありますが、
1つの国としての意識があれば、中央の補助金に依存するメンタリティーもなく、
自立しようと思ったのかもしれませんね。

ちなみに十津川村はこの高校があるから、
多少なのですが高校時代に村から出るという選択肢以外があるようです。
ただし、車が使えないので集落によっては村内でも寮生活になります。

そんな十津川村にも工芸コースができました。
これによって、村の人材が村内で自活できる道も少しながら可能性が広がりました。

工芸コースがやっている木灯館は橿原市のイオンモールにあります。
今度行ってみようと思います。
昼食を道の駅でいただいて、次はいよいよ谷瀬の吊り橋です。

木灯館
〒634-0837 奈良県橿原市曲川町7丁目20番1号
(イオンモール橿原十津川の森敷地内)
TEL 0744-46-9841
FAX 0744-46-9842
営業時間 10:00〜17:00

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気ままに奈良南部めぐり11 十津川村唯一の和菓子屋

150524_十津川村_東君うちくる (8)
前回野猿で冷や汗を書いて、H君に水害後の仮設住宅経由で、
近所うちくるしてほしいという話になりました。

写真が仮設住宅です。水害後家が流された方を優先して仮設住宅を作られました。
近くには老人ホームがありました。これは単に仮設住宅ではなくて、集落の集約という施策の1部でもあります。

十津川の各集落、水が問題なのです。
集落ごとに簡易上下水道を使っているようなのですが、その手入れがもう集落の人だけでは厳しい。
若者がいないからです…そういった背景も会っての集落の集約だそうです。

で、いつものごとく私は聞きました。「不動産屋って十津川村にありますか?」
ないとのことです。空き家バンクを役所がしています。
でも昔支援で関わった島と違って、仮設住宅も空きがあれば土地の人以外にも貸すとのことで、
そういう意味で移住ハード面はクリアしやすいと思います。

で、H君のうちくる。驚いたのはこれ。
150524_十津川村_東君うちくる (9)
下あごだそうです。鹿かな?イノシシかな?という一同驚愕を経ての福家利休です。

村唯一の和菓子屋さん福家利休

ここでは奈良地域活性仲間のNさんがの素敵な記事にも出会いました。
数年前に他の和菓子屋さんがなくなって、最後のお店。
でも和菓子のデザインもおしゃれで、お土産に買って帰りましたが、おいしかったです。
会社にお土産と書いておいたら誰も私にお礼言わずに瞬殺でなくなりましたよ。
美味しかったんでしょう(笑)

150524_十津川村_東君うちくる150524_十津川村_東君うちくる (10)150524_十津川村_東君うちくる (11)

先般福家利休は後継者の人材募集をして決まったみたいです。
仕事百貨店に恨みはないし素晴らしいと思いますが、
奈良県内の地域系人材募集はきっとここのが安くて良いと思います。

和菓子屋さんの意外な需要?

和菓子の需要はふるさとチョイスにも選定されているくらいなのであるのですが、
お話をうかがってみると意外な需要があるとのことです。

それは、餅つき
昔の十津川村、年末には餅をついて新年を迎えていました。
餅をつく若者が少なくなり、ご高齢の方々の世帯ではついにお餅をつく事が困難に。
そこで困ったある方の依頼を受けてお餅をついて差し上げたら、
村のネットワークであっという間に評判が広がり、たくさんの依頼が来たとか。
ということで、後継者の方は和菓子だけでなくお餅も頑張ってくださいね。

徳島県の神山ではないですが、必ず1村1つ必要な職業があって、
それができると地域移住がすごくしやすくなります。
パン屋だったり、お菓子屋だったり。
特に輸送量や賞味期限の関係で競争力持つものは強いです。

逆にWebyやデザインやらも距離があまり関係ないので、
競争に勝てれば都会からも仕事はとれます。

次は十津川民俗資料館へ。

福屋離宮
住所: 〒637-1554 奈良県吉野郡十津川村大字平谷77
電話:0746-64-1515

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気ままに奈良南部めぐり10 野猿

果無集落を後にして、HH君に野猿を案内してもらいました。
あいにくその野猿は今乗れませんでしたが、吊り橋をわたらせてもらいました。

150524_十津川村_東君うちくる (1)150524_十津川村_東君うちくる (4)150524_十津川村_東君うちくる (7)

いやいや、吊り橋って昔から十津川の方々の交通手段だったのですね。
下北山村も昔は貨車でものを下から上へ運んでたんですものね。
玉置神社にもありましたよ、ものを運んでいたであろう貨車の後。
車で運ぶよりエコですよね、大変ですけど。

そしてその発想で人を渡してしまおうというやつが野猿。
なんで野猿なのかは看板の画像をクリックしていただければいいのですが…
結局ここの野猿は渡れず、次回?のお楽しみになりました。

いやでも吊り橋ほんまに怖かったです。後で渡る谷瀬の吊り橋は、
たくさんの人が渡るから頑丈そうだったし、何より横につかまれるところありますから。
この吊り橋、下に落ちる事なくても横に落ちる心配少しありますからね…
都会の安全基準、二次産業三次産業の安全基準、万全ですよほんまに。
一次産業は安全基準とか残業代とかないですもんね。自然相手だし…
一緒にいったとあるライターさんは、まじで怖かったようで渡りませんでした。
いや、でもそれあながち否定できませんよ。

話がそれましたが、これが出来たときはものすごい発明だったでしょうね。
鉄のワイヤーが出来てからの話ですものね。おそらくそれまでは渡し船。
あるいは河の狭いところを水量が少ない時に渡る。

自給自足という考え方に基づけば物流なんてそこまで関係ないので、
平らで作物ができる土地と水があれば行きて生きてのでしょうね。
そう考えると人類果たして発展したのかしていないのか…

ともかく野猿、乗れるみたいですよ。

その後、H君の育った地元の集落へ。
今の大字もさらに細かく分ける事ができて、バス停を見るとそれがわかるとか。
でも由来まではわからないみたいでしたが。

で、いよいよ村唯一の和菓子屋さん福屋利休へ。
すみません、野猿で1回おいちゃいました。

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