地方都市から始める過疎対策

前回、過疎対策は地方都市や過疎地に隣接した市町村からというお話をしました。過疎地に仕事を作るのもそうだし、都市コミュニティで育った人がいきなり農村コミュニティに入るのは敷居が高い。そしてもう一つ、過疎地には小学校が統合され少なくなっているところや病院がないところがある。これでは子育て世代の移住地選択からは外れてしまう場合が多いです。

子どもの教育という観点でももちろん大事ですが、大人にとっても重要な点があります。都市のコミュニティから農村コミュニティに入る場合、子どもの方が先にコミュニティに入れる可能性が高く、PTAや学校行事を共にすることで地域に馴染んでいける点があるからです。

この点から行っても、病院、幼稚園、小中学校などが残っている場所に移住する方がはるかにスムーズです。もちろんスムーズでないから過疎地に補助金が出るというのはわからなくもないですが、都道府県単位の施策としてはやはり自走可能な地域に注力し、過疎地へ近づいていく方が結果として効果的になると考えています。

維持する限界点を超えたから幼稚園小中学校が統廃合したり、病院が閉鎖されたりするわけで、そこに無理やり戻すには不足分の経費なりを税金補填することになります。補助金というのは永遠に投入するものではなく、初期コストの負担や規模の経済で効率化を早めるなどあくまで数年後に自立する計画を前提に投入するものです。そして何より税収と国債の年間変換費が逆転してしまった財政で取れる方法ではありません。

かつて、人口が増え、GDPも右肩に上がっていた時代は税収の増大を見込んでの手法として筋も通ったのかもしれませんが、人口もGDPも第二次世界大戦後ほどの上昇が期待できない今となっては持続可能ではありません・・・

ではどうしたらいいと思っているかは次回。



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過疎の原因とその対策〜私が地元橿原市周辺にこだわる理由〜

私がテーマにしている1つの課題が過疎です。かつて都市農村交流事業や田舎で働き隊、地域おこし協力隊事業に関わった時に思ったことがあります。

都会の人材をいきなり過疎地に戻すことは効果的ではない

もちろん無意味ではないでしょう。成功事例があるのも知っています。でも私が関わって、自己の反省も含めて思ったことです。

私含め、二次・三次産業のスキルはあれど一次産業のスキルはない人、田舎のコミュニティで育ってこなかった町生まれの人が過疎地に入って生業を立てるのは難しい。

そもそも過疎は定住できないから、あるいは定住し続けるのが難しいと思うから都会へ移住するはずなのです。仕事を作ることもまた都会よりある意味では難しい。

その疑問を解消してくれたのは当時島根県の中山間地域研究所センターにいた方でした。その方は島根県の過疎がどういう過程で起こるかを教えてくれました。島根県の中山間地域からいきなり東京に出るパターンは少なく、多くは島根県の沿岸に出ると。そしてその後、あるいは次世代が東京・大阪・福岡に出ると。それに自論を加えると、もしいきなり大都市圏に出るとすれば進学だろうと。(だから地方の総合大学は独自の価値を作っていかないと過疎は止まらないとも思います)

つまり、移住の流れは

中山間地域→近隣地方都市→大都市圏 です。

繋がりもなく、地元からも遠い場所に人はなかなか仕事を求めていかないでしょう。東京に夢や職を求めてというのはもちろんあるでしょう。ですが、平均の動きではなさそうです。そして奈良県でもおそらくそれは当てはまると思います。吉野町の人口ビジョンにも同じ傾向がありました。

まず奈良盆地か大阪、名古屋圏に出る。

奈良の場合大阪がそこまで遠くないですからね。同じ音楽仲間の方で、祖父母が十津川で親が奈良市付近、その方が大阪という例もありました。十津川村で聞いたお墓の話も興味深かった。昔はもっと集落がばらけていて、お墓も山の上にあった。父の世代で道路の周辺に家を建てたと。自給自足や狩猟の暮らしから利便性を求め、車で移動しやすい場所に村の中でも移動しているのではないかと。推論続きですが、私は確信しています。

そして、その逆を辿らないと効果的な過疎対策にならないのではないかと思っています。

今起こすべき流れは、
都会から地方都市へ、地方都市から町村、そして過疎地域です。

奈良でいうと、奈良盆地と奥大和と呼ばれる中山間地域との間にもっと言えば奈良盆地に仕事が増えていくことが大切だと。五條市、御所市、高取町、橿原市、明日香村、大淀町、吉野町、下市町、桜井市、宇陀市などです。鉄道も通っていて、それでいて奥大和地域が通勤範囲に入る地域です。そのエリアに仕事が増えてくれば、今盛んになっている地域おこし協力隊や移住計画などの動きはハマってきます。奈良の場合、大阪からまずは通勤で奈良へ。そのうち奈良へ移住。その後少しずつ奥大和地域とのつながりを県内交流させていけば、良いのではないかと。

ですので奈良県は南部の過疎対策のためにも中和に注目するべきだと思っています。ただし、十津川村は和歌山県新宮市、下北山村は三重県熊野市から遡る方が局所的に見たら早いでしょう。十津川村と下北山村は現地で昔の物流や今の買い物場所を聞いており、おそらくそうなると思います。野迫川村は行ったことないのでなんとも言えませんが、おそらく和歌山県橋本市になりそうですね。

参考:吉野町人口ビジョン 概要版 

小笠原一航海_名物出港時のお見送り_161030 31

朝食を食べて、最後に歩いて東町西町をぐるっと一周してました。小笠原の街の中心には山があって、そこにはお宮さんがあり、お祭りの用意がなされていました。ここは津波が来ても山に登ればなんとかなるのかもなぁと思いました。昼間から缶ビール片手に散歩してました。疲れて浜辺で寝てたり。思えば最終日の午前中が一番のんびりしてましたね。なんせ暖かい。もうすぐ11月というのに夏。日差しはすごく強かったです。日陰は涼しいですけどね。昼食を食べてから、民宿に戻ったら、車で船着き場まで送ってくれました。と行っても3分ほどで着くのですけど。

■恒例の島あげてのお見送り
小笠原の旅行で最後のメインは出港前のお見送り。噂には聞いていましたが、太鼓に踊り、そして島の観光業や飲食業などの方々が結構な数でお見送りしてくださいます。これはもちろん島の方々の気質や産業の成り立ちなどもあるでしょうけど、やはり島と外とをつなぐ唯一の交通手段が小笠原丸だからでしょうね。現在空港誘致をしているようです。住んでいる方にとって、また医療などを考えると飛行機は便利でしょうね。一方で、この不便さがあるから人は魅了されて父島や母島に来るのだろうなと思います。1度来たらもう5日ほど本土に戻れない。だからなかなか来られないけど、来たらハマる。そんな気がしました。
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湾を出る直前くらいまで船でお見送りしてくれます。10/30だったので結構な方々が仮装してここでもハロウィンなんだと思うくらい、ハロウィンの浸透力半端ないです。お見送りも終わって、船内に皆引き返したあたりで、最後にカツオドリが並走してくれました。かなり風が強かったのですが、カツオドリをしばらく見て日が沈むあたりから船内へ戻りました。
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行きと違って帰りは波も高かったようで、船外にはなかなか出られませんでした。そこまでひどい船酔いもせずなんとか本は読んでいましたが、行きよりは気分が悪く、船内でうろうろしている人が少なかった気がします。また、時間と大体の距離を計算していると、夜間はちょうど何もない場所を通る関係と人が寝ている時間だからか、速度を上げておそらく40~50kmくらいで、八丈島あたりから徐々に減速して、東京湾内は他の船もいるためか相当ゆっくり走ります。ゆっくり走っている時は甲板にも出ることができる可能性が高くなります。もちろん波次第ですけど。

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一度青ヶ島や八丈島付近を通る際に電波が繋がり、メールやらが一斉に入って来て、またしばらく圏外。千葉県の岬が見えて来る辺りになると電波が復活します。
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海ほたるが見えたので、もうそろそろ一航海も終わります。真ん中の写真はおそらく富士山なんじゃないかなって思ったのですが、確証はないです…
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この後翌日くらいまで私は陸酔いしていました…でも念願の小笠原、行けてよかった。現地で何度か「なんで小笠原に来たんですか?」と聞かれて、スキューバとか具体的な目的がなかったので回答に困りましたが、とにかく行って見たかった。見て見たかった。現地に踏み入れたかったとしか言えませんね。ある意味では東南アジアに行くより遠いですからね。

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小笠原一航海_朝日と中央山_161030

原付は借りた時間の24時間以内に返却すればよかったので、9時過ぎまでは原付が使えました。ということで、最終日は日の出を見に旭平展望台に5:30頃に向かいました。そしたら既に先客が4名ほど・・・すごいなと思いました。出港日出なければもう少し少ないのかもしれませんが、皆さん考えることは似てきますね。

■旭平展望台からの朝日
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■中央山
朝日を見た後は、昨日回りきれなかった山を回ってました。中央山も登りました。朝日が島に降り注ぐ中央山頂は絶景でした。
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■小笠原神社
もともと無人島だったようですが、先に白人や現地周辺の人々が移住したようです。その後、江戸時代に幕府が開拓に着手した島だとのこと。その後しばらく開拓は頓挫していたようですが、明治政府が1876年に改めて開拓に着手し、正式に日本領となったようです。そのあたりの経緯が石碑に簡潔に記載されていました。
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早起きは三文の得と言いますが、絶景に巡り会えた朝でした。感謝。いよいよこの日の午後は本土へ向けて出港です。

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小笠原一航海_旭山_161029

引き続き原付で島の北へ向かい、4時前ころに旭山の麓につきました。ちなみに写真に撮れませんでしたが、天然記念物アカガシラカラスバトと思われる鳥がみられました。で、今度はおそらく固有種のほうのトカゲも?ジョンビーチで見たのはどうも外来種っぽかった。でもわかりませんね素人には。
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正直午前のジョンビーチで体力をすり減らしていましたが、旭山は20分くらいで登れました。旭山は街に近く、港と街が見渡せる絶景ポイントです。
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旭山にも至る所で戦跡が見られます。一つ間違えば硫黄島の攻防はここで行われていた可能性もあるのですから、そらそうですよね・・・
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この後旭山を下山して三日月山展望台まで夕日を見に行ったのですが・・・もう人が多すぎで、せっかく人の少ないところに来たのになんだかなぁと思って帰ってしまいました。いわゆる観光のお薦めポイントは私には向かないようです。ので、翌朝朝日を見に行こうと決めました。

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