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過疎の原因とその対策〜私が地元橿原市周辺にこだわる理由〜

私がテーマにしている1つの課題が過疎です。かつて都市農村交流事業や田舎で働き隊、地域おこし協力隊事業に関わった時に思ったことがあります。

都会の人材をいきなり過疎地に戻すことは効果的ではない

もちろん無意味ではないでしょう。成功事例があるのも知っています。でも私が関わって、自己の反省も含めて思ったことです。

私含め、二次・三次産業のスキルはあれど一次産業のスキルはない人、田舎のコミュニティで育ってこなかった町生まれの人が過疎地に入って生業を立てるのは難しい。

そもそも過疎は定住できないから、あるいは定住し続けるのが難しいと思うから都会へ移住するはずなのです。仕事を作ることもまた都会よりある意味では難しい。

その疑問を解消してくれたのは当時島根県の中山間地域研究所センターにいた方でした。その方は島根県の過疎がどういう過程で起こるかを教えてくれました。島根県の中山間地域からいきなり東京に出るパターンは少なく、多くは島根県の沿岸に出ると。そしてその後、あるいは次世代が東京・大阪・福岡に出ると。それに自論を加えると、もしいきなり大都市圏に出るとすれば進学だろうと。(だから地方の総合大学は独自の価値を作っていかないと過疎は止まらないとも思います)

つまり、移住の流れは

中山間地域→近隣地方都市→大都市圏 です。

繋がりもなく、地元からも遠い場所に人はなかなか仕事を求めていかないでしょう。東京に夢や職を求めてというのはもちろんあるでしょう。ですが、平均の動きではなさそうです。そして奈良県でもおそらくそれは当てはまると思います。吉野町の人口ビジョンにも同じ傾向がありました。

まず奈良盆地か大阪、名古屋圏に出る。

奈良の場合大阪がそこまで遠くないですからね。同じ音楽仲間の方で、祖父母が十津川で親が奈良市付近、その方が大阪という例もありました。十津川村で聞いたお墓の話も興味深かった。昔はもっと集落がばらけていて、お墓も山の上にあった。父の世代で道路の周辺に家を建てたと。自給自足や狩猟の暮らしから利便性を求め、車で移動しやすい場所に村の中でも移動しているのではないかと。推論続きですが、私は確信しています。

そして、その逆を辿らないと効果的な過疎対策にならないのではないかと思っています。

今起こすべき流れは、
都会から地方都市へ、地方都市から町村、そして過疎地域です。

奈良でいうと、奈良盆地と奥大和と呼ばれる中山間地域との間にもっと言えば奈良盆地に仕事が増えていくことが大切だと。五條市、御所市、高取町、橿原市、明日香村、大淀町、吉野町、下市町、桜井市、宇陀市などです。鉄道も通っていて、それでいて奥大和地域が通勤範囲に入る地域です。そのエリアに仕事が増えてくれば、今盛んになっている地域おこし協力隊や移住計画などの動きはハマってきます。奈良の場合、大阪からまずは通勤で奈良へ。そのうち奈良へ移住。その後少しずつ奥大和地域とのつながりを県内交流させていけば、良いのではないかと。

ですので奈良県は南部の過疎対策のためにも中和に注目するべきだと思っています。ただし、十津川村は和歌山県新宮市、下北山村は三重県熊野市から遡る方が局所的に見たら早いでしょう。十津川村と下北山村は現地で昔の物流や今の買い物場所を聞いており、おそらくそうなると思います。野迫川村は行ったことないのでなんとも言えませんが、おそらく和歌山県橋本市になりそうですね。

参考:吉野町人口ビジョン 概要版 
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